松岡慈子先生不当人事不服審査第5回公開口頭審理を傍聴して

一楽重雄

去る9月21日に表記の口頭審理が行われ,請求者側証人として「脳卒中から助かる会」代表の上野 正先生が,処分者側証人として岡田隆雄(当時の職員課長)が証言を行った.これまでの口頭審理で,ことの次第は相当明らかになってきているなかで,今回の証言は駄目押しの感があった.上野証人によって患者がいかに松岡先生を高く評価しているか,また,岡田証人によって今回の異動がいかに好い加減になされたかが明白になったのであった.

上野証人への質問は,まず,松岡医師とのかかわりと評価であった.これに対して,証人はたんたんと,2001年8月に脳卒中で脳血管医療センターに入院し,その際松岡先生が主治医であったこと,おかげで順調に回復し現在まったく支障なく暮らしていること,松岡先生は優れた先生で名医と承知していること等を証言した.その後,会のメンバーの中で家族が松岡先生に助けて頂いた人々やその家族の方々の思いを直接聴いた話として紹介された.そこでは,松岡先生の治療のおかげで回復したことや,先生の患者と家族のことを考えた医療に対して全幅の信頼と強い感謝の念が語られた.

次に「松岡先生が看護師を大声で叱るなどということが問題とされているが,どう思うか」との問いに対して,上野証人は「松岡先生の注意の内容が出てこないのはおかしい.患者としては,まったくやりきれない思いで,心外である」と述べられた.当時センター病院は他の病院と比較してどうだったかとの問いに対しては,自分の経験に照らして「当時のセンター病院は,親切で行き届いていた」と証言した.この点に関して松岡医師は「このフロアはかなりよくなっている,ほかのフロアも改善しなければ」と話していたと証言した.

 松岡先生がチーム医療を乱したというような認識について,上野証人はサッカーチームを喩えに出し,まったくおかしなことと述べた.声が大きかったり,うるさい選手がいたと言って,サッカーのチームプレーが出来ないなどということがあるだろうか.仕事であるのだから,声が大きいとかいうようなことで,チームプレーが出来ないということ自体がおかしいと話された.「仲がよい」ということと「チーム医療」ということを混同している.

次に会の趣旨や行動についての質問がなされたが,それについては特別のことはなく,たんたんと証言された.そして,会の活動をした理由について尋ねられたときに「それは,世の中には正義というものもあると思ったのです」と証言されたことは印象的であった.

署名について以前の口頭審理で処分者側代理人が「内容に賛成していなくても署名した人もいただろう」ということを発言したことについてどう思うかとの答えに,そんなことはないし,会の人はみんな怒っているということに付け加えて『蟹は甲羅に似せて穴を掘る』と思った,と述べられた.これは,まさに正鵠を得ているのではないだろうか.

考えてみると,今回の処分者側の代理人も因果な役回りである.彼らが,まったく良いところを見せられないのも,彼らの力量の問題ばかりではなく,案件自体の性格による面もある.それにしても,おそまつな発言が多い.今回も反対尋問で処分者代理人は「サッカーと医療は違う,サッカーはひとつの目的に向かってみんなが力を合わせるものだが,医療は違う」と言ったのであった.私はまったく驚愕であった,「えっ,医療は患者の命を助けるためというひとつの目標にみんなが一致して働くものではないの?」と.さすがに,言ってしまってから「サッカーではみんな同じ役割だが,医療は看護師,医師とか,いろいろな役割の人がいて,サッカーと医療は違う」と言い直したのであったが,それでも,なんともおさまりの悪い説明である.確かに,岡田証人の証言を聞いてみると,当時の病院関係者が「患者を治すため」という共通の目標のもとに行動していたとは思えない.その意味では代理人の発言も実態を映したものかも知れない.

上野証人の証言に戻ろう.異動の処分に関して,福島センター長は医師の意見を聞いたといっていたが,これについてどう思うかとの質問に対しては,「そうは思えない,松岡先生の異動に反対する署名に医師のうち12名が参加している」と証言された.そして「松岡先生はただちにセンターに戻ってほしい,命を救われる人がいると思う」と続けられた.

反対尋問では「脳外科の医師は松岡先生に「馬鹿だ」「○○だ」「能力がない」と言われたのだが」と質問され,上野証人は「反論すればよい」ときっぱりと言ったのであった.なお,実際には「馬鹿だ」の後は差別語であるので,ここでは伏せておこう.審理の場でも発言を取り消したのだった.弁護士ともあろう人の発言とは思えないが,これも案件の困難さゆえの失策と解釈しておこう.

岡田証人は松岡医師を転勤させた経緯について証言した.その中でこの異動をするにあたって,一方の側の話しか聞いていないことが明らかになった.松岡医師からは一度も事情聴取をせず,センターの職員から一方的に松岡医師を非難することを聞き,転勤の処分をしたというのであった.最後に請求者側代理人から「あなたは,松岡医師の言動が,地方公務員法の処分に値するとは思いませんでしたか」との質問に対して,「処分に値するかも知れないと思ったが,正式な処分をするとなると,(手続きなどが)大変なので処分は考えなかった」と証言したのであった.それまでの証言は,立て板に水と言っては少々言い過ぎかも知れないが,一見すらすらと順調に証言したのであったが,最後に墓穴を掘った感がある.「処分は“大変”なので,異動ですませた」というのである.まさに,異動という形ならば,本人からの弁明も聞かずに一方的にできるからやったのだということを自ら明らかにしたのであった.

その他は,これまでに明らかになっていることが多く,特にみるべき証言はなかった.分かったことは,きちんと実態を把握することなく一方的な言い分によって異動を発令したということであった.

なぜ,処分者側は岡田課長(当時)という中間管理職を証言者としたのか.その意図は,今回の異動が,実務者が実務的に行った人事異動であるということを印象づけようという狙いだったのだろう.しかし,実際の証言を聞いてみると,岡田証人が決定したわけではないことは証言内容から知れる.異動の処分を相談した会合には,必ず,岡田課長の上司である部長や局長がいたのである.

毎回人事委員長が言うように,この審理は「人事行政の公平を実現するため」であって,適切な行政が行われることを保証するものではない.言うまでもないが,この問題は松岡先生ひとりの問題ではない.むしろ,横浜市民全体の問題である.不適切な行政によって,脳血管医療センターという最先端の設備,そして,発足当時は最先端の技量を持った医師がそろっていて「死んだ人も生きて返る」とまで言われた脳血管センターが,現在のような決定的な医師不足に陥いり,その機能を十分に果たせなくなったのは市民にとって莫大な損失である.

この観点からは,この審理の結果を待つまでもなく,いますぐ松岡先生をセンター戻すべきである.センターで医療を行いたいという優秀な医師,それもセンターの内容をよく承知している医師,患者から絶大の信頼を得ている医師,そのようなかけがえのない医師をセンターに即刻戻すことが,いま,行政がなすべきことなのである.