松岡慈子先生不当人事不服審査 第3回公開口頭審理を傍聴して

一楽重雄

 第1回第2回に引き続き,第3回目の口頭審理を傍聴した.長時間の審理でかなりの難業であったが,振り返ってみると当時のセンターの看護部の体質が浮かび上がってきたように思う.ひとことで言えば,彼らはまったく勉強する気がなかったのである.
  「松岡医師が怒るのは,どういうきっかけか」という質問に,中谷看護師長はおそらくその意味するところを自覚することなく「患者の容態が変化したとき」と答えている.また,松岡医師の質問や叱責は「教育や指導とは受け取れなかったのか」という質問にも「大声である」とか「次々質問する」という理由だけで「教育や指導」とは思えないと答えている.ここにこそ問題の本質があったのである.患者本位の医療をしようとする人と看護を単なる労働としか考えない人とでは,所詮水と油であったに違いない.
  前回の畑先生の証言にも出てきたが,医師が現場で看護師を指導するのは当然である.看護師のミスによって「患者の容態が悪化した」とすれば,そのミスを声を荒げて叱責するのも人間として当然ではないか.場合によっては命にもかかわるし,そうでなくとも余分な負担を患者にかけることになる.そのようなときに大声となったからといって,それを指導や教育とは受け取れないという態度にこそ問題がある.あの飯野医師(第2回の口頭審理での処分者側証人)も「松岡医師の言うことは間違っているわけではない」と証言していた.
  一方で「看護師は医師のパートナーであって部下ではない」と強調しておきながら,検査データを読み取ることを要求されると,とたんに「それは医師がすべきことで,そんなことを強要する松岡医師はけしからん」となってしまう. はじめから自分で学ぶ意志がなく,言われたことだけをやればよいと思い,患者の回復に関心のない看護師にとっては,松岡医師のそういった質問がうざったくて仕方がなかったのであろう.
  指示がないからと言って,抗生物質が切れても気にもせず,機械的な看護しかしない.そのため患者の容態が悪化する,そんなとき看護師を叱るのは当然であろう.患者のことを思えば,当然,大声になることもあるだろう.抗生物質はある程度の期間飲み続けならなければならないのは,素人の私だって知っている常識である.
「看護師を教育するまで,3年待って欲しい」と看護部長は言ったそうだ.看護部長は3年でも待てるかもしれないが,命を預けている患者さんは3年も待てるだろうか.患者のことを思う松岡医師にとって,その言葉は単なる言い逃れにしか聞こえなかっただろう.植村現センター長も「医師不足を解消するのに2年待って欲しい」と市会で答弁している.センター長は,2年間待ってもらって,その間現職が続けられればこんなよいことはない.働けるだけで幸せと思える年齢である.が,患者さんは2年も待てるか.
  確かにセンター内の「コミュニーケーション」は悪くなっていたかもしれない.しかし,それが患者本位の医療を目指す人とそうでない人との対立であるとしたなら,現場を離れるべきなのはどちらなのであるか.医療ミスを告発した人と隠蔽しようとする人の対立なら,行政はどちらを守るべきなのか.
  今回の審理での委員長からの要請も注目すべきである.処分者側に自分のしたこと(医師を保健行政部門への配転)の正当性を主張して欲しいと要求したのである.これに対する代理人の答えも象徴的である.「今月中に文書にして出して欲しい」という要求に「難しいけれど,努力します」と答えたのである.すでに行った処分の理由や経過の説明を求められているのだから,本来回答に時間がかかるはずはない.
  当初は通常の定期の人事異動といいながら,審理の中では「松岡医師がセンターのチーム医療を崩したから配置転換した」のだと主張している.しかし,そのような懲罰的な配置転換であれば,本人の弁解を聞くなどのきちんとした手続きが必要なはずである.もちろん,そのような手続き(告知・聴聞の機会)はとられていない.委員長は「通常の人事との違いを明確にして欲しい」とも要求した.
  また,秋山委員は「配転後,センターのチーム医療はどうなりましたか」と質問している.「医師不足でチーム医療は確立してない」と証人は答えている.配転で問題が解決するどころか,新たに致命的な問題を引き起こしてしまったのである. 鈴木委員も「看護士にデータを読ませる」のは法的に問題があるのかと聞いている.これに対する証人の答えも「法的には決して悪いことではない」ということであった.

  これまでの3回の口頭審理で明確になったことは,松岡先生の患者本位の一貫した姿勢である.松岡先生は,くも膜下出血の患者を土日は待たせて手術しないとか,院内のルールを無視して経験のない手術を強行し医療過誤を惹き起こしてしまった脳外科の医師を告発し,まったく勉強をしようとせず患者のことを考えない看護部と戦い,患者本位の医療となるよう看護師を指導教育し,自主的な勉強会を行って看護レベルをあげようと奮闘していたのである.
  本来,看護師に教育をしなければならない看護部の管理職の一部は,自分の立場が悪くなると思い感情的な反応をしてしまった.「松岡医師は,他の医師を中傷してチーム医療を妨げた」とか言いながら,事実であるかどうかも確かめもせず,部下のいうことを文書にして松岡医師を中傷していたのは誰だったのか.そんな行動こそ,チーム医療の妨げであったのではないか.良識ある看護師は「勉強会を開いてくれたり,自分たちのミスをカバーしてくれたりした」と松岡医師に感謝している.
  仮に,2人の証人の言うことが事実で,松岡医師が看護師に『大声で叱責したり,正面から接近して言葉かけ』をしたりするとしても,今すぐに松岡医師をセンターに戻すべきである.今のセンターにとって,内科の専門医であり、t-PAの治療薬(血栓溶解剤)の臨床研究医でもある松岡先生が戻ることは,患者にとって,したがってセンターにとって,なによりも優先すべきことである.畑先生や松岡先生がいたからこそ、全国から優秀な医師が集まってきていたのである。病院に核となる医師がいてその医師に学びたいということで医師はそこへ集まる。
  優秀な医師を追い出すようなことをしておきながら,「2年間待ってください」などという植村センター長は無責任以外のなにものでもない.岩崎局長は「責任はあるが辞任はしない,私が辞めても医師は来ない」と言った.これまた無責任のきわみである.責任があることまでは分かっているらしい,必要なことは,まさに責任を取ることである.「私が辞めても医師は来ない」とは,神ならず身にどうして知れようか.
  中田市長は「局長にまかせてある」とか「いまだに内部のコミニケーションが悪い」などと他人事のようなことを言っている.300億円も投資した病院を麻痺状態のままにしておいてよいわけがない.市長が大好きなお金の話に換算したとしても,これほどの無駄があろうか.PETが稼動していないと聞けば「もともと使われないものだ」などと事実と違うことを平気で言う.市会議員も人気のある権力者にはたてつけないなどということではなく,もっともっと市民のために働いてほしい.
  脳血管医療センター問題は,ひとり横浜市だけの問題ではない.あれだけの設備を備えた病院はそうはない.適切な運営さえ行われていれば,畑医師,松岡医師によるt-PAの治療のように,脳卒中治療の最前線として日本の医療を牽引することが出来たはずなのである.
  12名いた神経内科の医師が5名になってしまった現在のセンターにとって,実力ある松岡先生の一刻も早い復帰が望まれる.