松岡慈子先生不当人事不服審査第6回公開口頭審理を傍聴して

松岡慈子先生不当人事不服審査第6回公開口頭審理を傍聴して
――真実はひとつ――

一楽重雄
12月4日に表記の口頭審理が行われ,請求者側証人として松岡先生本人が証言席に着いた.審理が始まるそのときに,私の頭に「真実はひとつ」という言葉が浮かんできた.実際そのとおりだった.松岡先生の証言は,第一回の口頭審理での栗田先生の証言のときと同じように,具体的で医学的内容が明らかにされるものであった.これまでの処分者側の証言は,伝聞によるものばかりで事実の確認がなされていないし,医療上の内容があるわけでもなく,単に「声が大きい,長時間看護師を叱る」というようなものばかりであった.それに対して,松岡先生の証言は当時のセンターの実態を患者さんの命を守るという一貫した立場から証言されたのであった.これまでの審理の中での誹謗中傷にあたる事柄にも事実をもって反論されたのであった.
そこで明らかになったのは,患者のことをまったく考えていない,一部の看護部の人たちと脳外科を中心とした一部の医師たちのことであった.そして,その人たちと結託した管理部と衛生局の罪状が白日にさらされたのである.患者を守るために正しいことを言っていた松岡医師を邪魔に思う人々が,次々と陰謀を画策している様が明らかになった.本当に恐ろしいことである.横浜市は,フロッピーディスク(FD)紛失事件のような指摘されたひとつひとつの事件を調査し,公務員としておかしなことをした人たちをきちんと処分すべきである.

最初に彦坂代理人は,この証言で明らかにしたいことを整理した.
1. 意に反しての異動であること.
2. 医療過誤を告発したこと.
3. 異動に対する適切な手続きが取られていないこと.
実際,これらの目的は十分に果たされた.彦坂代理人のたんたんとした質問に,松岡先生は冷静かつ毅然として証言された.それに対してすでに勝敗が決したと考えたのか,処分者側のF代理人の反対尋問には,熱意が感じられず消化試合の様相を呈していた.F代理人はあらかじめ準備された「これまでの証言でこういうことが言われましたが,記憶にありますか?」といったような質問を繰り返すばかりであって,松岡先生は「質問は具体的に,いつ,どこで,ということを明らかにしてくれないと返事ができない」と応じる.すると,F代理人はあっさり「答えられなければ,答えなくて結構です,答えられないのですね」を連発した.
松岡先生の指摘した医療ミスとも言うべき脳外科の医師の処方や,患者の立場に立たない看護師の行動などの指摘に対しても「それは事実でないのではないか」という当然予想される反対尋問は一切なかった.松岡先生の具体的かつ詳細な陳述書を読んで,処分者側代理人たちは「これでは手のうちようがない」と思ったのだろう.
新しく処分者側から提出された陳述書も滑稽でさえあった.書いた人はすべて看護部管理職であり,中には松岡先生とまったく,あるいは,ほとんど接触がなかった大山看護部長や他の看護師長まで含まれていたのである.これでは誰が見ても上層部が命令して書かせたに違いないと思ってしまう.まったく,幼稚なやり口としか言いようがない.

 今回の審理で,事件の本質がすっかり明らかになった.横浜市はまったくの「クロ」である.医療事故を隠蔽し,不当にも隠蔽の責任をセンターの医師に押し付けたのであった.魚本管理課長の発言に象徴されるように,悪しき一部の役人は人間としての責任をまったく感じることなく,単に上司に対してへつらうことのみを考える.上司は,また,その上司にへつらうということで,結局は副市長や市長の意志が貫徹してしまう.現在の横浜市には,このようなことが多すぎる.
  日本の脳卒中の診療はセンター開院当時、欧米に比較し10年遅れていた。横浜市立脳血管医療センターの脳卒中診療部は365日24時間横浜市の脳卒中の患者さんたちを診つづけてきた。今話題のt-PA治療に関しても治験の段階で日本4番目の症例数を誇り、日本一の成績をあげていた。その結果,専門医による診療部の実績が認められ、日本の5つの代表的脳卒中治療機関として選ばれた。昨年t-PAも認可された。
これからという時に、一部の説明のつかない行動をとる政治家と医学に素人で無責任な横浜市の一部の役人たちと、そして松岡先生を逆恨みした数名のセンター医療従事者達によって,日本で最高水準をいくはずであった横浜市立脳血管医療センターがつぶされてしまったのである.松岡先生とともに医療事故を告発した良心的な医師達を次々と退職に追いこみ,極端な医師不足を招き,センターの機能不全をもたらしたのであった。
市民の犠牲は大きい。一度つぶしたものを再建するのは大変なことであるが,360万横浜市民の立場で松岡先生のような患者の立場に立った優秀な先生を集めてセンターを充実させる責任が横浜市にはある.これこそが新病院経営局長に求められていることであろう.原病院経営局長には,つまらない政治的対立や学閥などにとらわれることなく,大きな視点にたってセンターの充実を図ってほしいと切に思う.

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さて,5時間を越える証言であったので内容の全部は書ききれないが,主尋問を中心に,なるべく落とさずに書いておく.これらの証言から,患者のための医療を求めて,一貫して闘い続けている松岡先生の姿が浮き彫りになると思う.

松岡先生の経歴の確認から始まり,松岡先生は慶応大学の神経内科で学位を取り,米国ヒューストンのベイラー大学に留学し脳循環の研究をされた.そして,済生会中央病院にいるときに慶応大学の福内教授から話があり,センターに赴任することになった.
センターでは,神経内科の先生の負担が非常に大きかった.受け持ち患者さんの数が,25-30と厚労省の基準16を上回り,それに加えて当直があった.通常の病院なら受け持ち患者はひとつの病棟だけなのだが,センターでは看護部の強い要請で5つの病棟に分かれていた.非常に労働過重な状態であった.そのしわよせで,サマリーの作成やオーダー入力の問題があった.これまでの病院では,サマリーをためたことはなかった.救急患者さんが入ると2,3時間手が取られてしまい上の病棟に行けない.そのためオーダー入力が出来ないので,それをカバーするために神経内科では病棟当番を決めるという対策を取った.病棟当番の医師が入力されていないオーダーについては責任を持って入力したのである.
本多センター長は神経内科に「脳外科でほとんど経験のない手術をやらすために患者を回せ」と平気で言う人であり,市民病院長時代には気に入らない小児科部長を元衛生局長(現鈴木審査員)とともに保健所長に左遷すると脅して辞めさせた人であった.(なお,鈴木審査員は,後で質問をし,鈴木氏が衛生局長に着任したときにはすでに小児科部長は辞めていたことを主張した.)
脳外科の患者さんに対する内科的管理には問題が多かった.通常の病院では,脳外科は内科や神経内科と相談して治療するのだが,それがなかった.そのため,尿が出ないときの原因,脱水と心不全の判別ができず,患者さんを重症の心不全に陥らせることがあった.回復には2週間もかかり,苦しそうで見ていられなかった.熱が出たら細菌検査もせず抗生剤をすぐに与えるということによって,耐性菌MRSAが出現していた.他の病院では必ず行われる脳外科による手術の症例検討会がほとんど開かれなかった.そのため脳外科と神経内科の信頼関係がなかった.
以前に勤務していた病院では,看護師はよく患者さんの病名や状態を把握していた.慶応病院では,看護師さんに教わったこともたくさんあった.若い研修医などの不適切な処方なども看護師がチェックして指導医に知らせることなどもよくあった.多くの患者さんが看護師さんの適切な機転で命を救われた。他の病院では看護師長は,その病棟の患者さんのところによく行き,病名や状態をよく分かっていた.しかし,センターの看護師長の多くは,患者さんのところにもゆかず,病名も把握せず,治療にも関心を持たなかった.いつも,机の前にすわっていた.
以前の審理で証言があった滝童内看護部長らとのすし屋での会談について,その内容はもっぱら「私が看護部長であなたの上の地位なのだから,言うことをきくように」ということであった.帰りに根岸の駅で,中村看護副部長から「あなたのように正しいことを言っていると,横浜市からたたき出されるわよ」と言われた.
中谷看護師長は,証言の際も泣いていたがセンターでもよく泣いた.看護師や医師は,どんなことがあっても冷静でいるようにと教育されてきた自分にとって,まったく不思議なことであった.中谷師長管理の3階西病棟では,輸液の記録など基本的なことが出来ていないことが多くて困ったので,神経内科では2階から内科的管理の行き届いた4階西病棟に直接転棟させるという対策をとった.
平成12年5月の当直のときに,看護師から「この患者さんは脳ヘルニアでお看取りだけです」と言われたが,脳ヘルニアの所見がない.重症の心不全であった.3日前に心エコーを撮っていたが,医師も看護師もその結果をまったく診ていなかった.4時間後になくなった.心エコーの結果を見てさえいれば,手遅れにならなかった可能性があった.
脳梗塞の急性期において脱水症状は後遺症を大きくする.吉田医師の指示で脱水の患者さんにラシックス(利尿剤)が出されていた.看護師は「もし,自分だったらこの薬は投与されたくない」と言い,問題があるのを分かっているにもかかわらず「医師の指示にしたがった」と言うのみであった.
以前の証言で「監禁した」とあったが,これにはあきれた.そんな事実はない.
リハビリ科の西郊医師と5階西の中村看護師が,患者家族に「あなたのご主人は性格異常」だなどと頻繁に電話したので家族から訴えがあった.西郊医師から交替した佐鹿リハビリ科部長は,患者さんにいきなり「あなたの手は一生動かない」といった.その結果,患者さんは5階の窓から飛び降りようと自殺を考えたが、それを止めたのは私であった。(その患者さんの陳述書も示された。)
内田管理部長と中川管理部長時代は患者さんの生命を軽視した管理体制だった。平成14年,管理部の飲酒事件が報道された.管理部の部屋で幹部職員が飲酒していた。そのうちのひとりの検査課山崎係長が酩酊して,重症患者さん家族の控え室の近くや,仕事中の検査室で騒いで、部下の職員にハラスメントを行った.この件では,職員幹部は反省するどころか,逆に誰が新聞社に知らせたかと衛生局の岡田職員課長が「犯人探し」をし、被害にあった検査技師たちを詰問した.そのため2人の検査技師が体調を悪化させた.
  優秀で患者さん思いの看護師さんたちもたくさんいた。患者さんの生命を第一と考える看護師長もいた。平成12年8月、その看護師長を中心に松岡医師を講師とした看護師の勉強会が始まったが,滝童内看護部長らが参加者に圧力をかけたようで続かなかった.
  以前証言した飯野医師は,救急外来のコールでも来ないということで有名だった.また,身寄りのない人に人工呼吸器をつけないなどの差別的な診療行為がある,こんなことでよいのか,と麻酔科の先生から神経内科にクレームが来たことがあった.松岡医師がカンファレンスで直接注意をしたが、その後病院を辞めた.
  平成12年11月,木下管理部長から呼び出された。藤井脳外科部長,佐鹿リハビリ科部長,滝童内看護部長の言い分をまとめた文書をわたされた,分かるところは,反論を書きなさいということで,反論を書いた.その後、木下管理部長は,次のように言った.「藤井,佐鹿両部長には,医師がこんなことをしていることが院外にもれたら大変だと注意しておいた,しかし,滝童内看護部長はまた必ず捏造して攻撃してくるだろう。そのときのために,この文書は私とあなたと二人だけで持っておこう.」
  平成16年7月にフロッピーディスク(FD)紛失事件が起こる.衛生局が記者発表したので新聞記事にもなった事件である。これは医療ミスの疑いのあった患者さん加納さんと医療過誤の被害者となった亀田さんの個人情報を含んだ文書が入っていたものだった.なぜか,三浦看護師長が家に持ち帰り紛失したというものだった.加納さん家族が,情報公開でそのFDの中身を見て,中に書いてある内容が診療記録と違うと,松岡医師に電話で訴えてきた.その訴えに,とてもびっくりした.加納さんは,重篤な状態で主治医が松岡医師に交代した患者さんである.主治医の交代は断ったのだが,センター長の命令ということであった.その際山本センター長は,家族に私を「センターでNo.2の医師だから」と紹介した.
  9月7日に加納さん家族がFDの中身と録音テープを持ってきた.テープは,加納さん家族と中村看護部長が面談した際の会話を録音したものであった.そのテープの中で,FDの中にある「この“センターの考えかた”という欄の記載は、医師全員の了解のもとに書いたものです」と中村看護部長が答えていたが,関係した医師、山本センター長,畑,松岡,田中のいずれもが,その文書の存在すら知らなかった.この事件に対し医師たちが10月の診療科会議で看護部長に説明を求めたが,出席せず説明をしなかった.看護部長は,このことが原因で辞めたのだと思う.(岡田職員課長は,前回の証言で「平成16年10月、看護部長から「松岡医師が原因で辞めたい」と直接聞いた」と言っていた.)
なぜこんな変なことを看護部は行なうのかと,病院は患者家族から説明を求められた。私はこの件についてインシデントレポートを畑統括安全管理に提出した。レポートは,安全管理の大江看護師長に渡されたが,調査委員会は立ち上がらなかった.何度も聞いたが,大江看護師長はレポートを知らない,知らない,の一点ばりだった。その後看護部は,亀田さんと加納さんの家族にもことの顛末をまったく説明せず,真実は闇である。両家族ともこの問題を公にするために実名を出すことを了解してくれた.
  加納さんは,心不全と腎不全であったが,肺炎からの心不全と誤診され,腎毒性のある抗生剤が通常の4倍量投与されていて,薬剤性の腎不全になっていた.私は,肺炎ではないと診断し,抗生剤を切り,心不全と腎不全の治療をした.その後快方に向かった.

 処分者側のあげている処分理由は,昔のことで解決済みである.滝童内看護部長と脳外科梅川医師が平成15年3月31日に退職してから,私の排斥運動は起こらなかった。また看護師さんたちの働きもよくなった.平成17年3月に,突然,福島センター長と中川管理部長から異動を言い渡された.医療事故隠蔽に対して行った告発が,今回の人事異動の理由である。
  平成15年7月亀田さんの医療事故が起こった。脳外科医師達はモーニングカンファランスにかけずに,神経内科の患者を無断で持っていって,経験のない手術をしてしまった.カルテを調べてみると,亀田さんの意識レベルに30以上の記載がない.20であった.この数値では緊急手術の必要はなかった.内視鏡手術は難しい.倫理委員会にかけるべきであった.トレーニングをして,経験のある指導者の元ですべきであった.
9月に慈恵医大の青戸病院のことが報道された.神経内科の伊藤医師が脳外科小島医師に対し“あの内視鏡の手術は青戸と同じじゃないの?”と聞いたとき“そういわれても仕方がない”と言ったことが医局内で話題になった。当時はミスをした人がインシデントレポートを出さないと安全管理者が強制的に調査に入ることはできない制度であった.当直をしていた栗田先生がレポートを書き,それによって院内の調査委員会が立ち上がった。
登戸病院勤務の市大脳外科出身である鈴木医師の意見は,最初からかばう内容であった.また,鈴木医師はこの手術についてそれほど多くの経験を持った医師ではなかったので,畑神経内科部長と阿部内科部長が相談して,より適切な防衛医大の石原先生に意見を求めた.防衛医大石原先生の2つの意見書が処分者側代理人から示された.一方には「青戸事件と同じ」という文面があり,一方にはない.渡辺衛生局長の指示のもとに,センター長が石原先生に書き直しを頼んだ.しかも,自発的に書き直したことにしてくれと山本先生に頼まれたと石原先生が憤慨していたとの話しを聞いている.
  山本先生は医療ミスということを早く公表したがっていた.「松岡,俺が公表したかったということを何かあったら証言してくれるよね」とまで言っていた.
5月に記者会見。手術にミスはなかったと報道される。脳卒中診療部では,みんな驚いた。
7月2日,記者発表がされ文書が配られる。そこには安全統括管理者が「手術翌日に,公表する医療事故には当らないと判断した」と記されていた.安全統括管理者が,カルテも画像もビデオもまったく見ることができない状況で,判断することは不可能である。衛生局が隠蔽の責任をセンターに転嫁するつもりなのだと思った.
記者発表に名前のあった魚本管理課長に「なぜ事実と異なることを発表するのか」,と詰め寄ったが,魚本課長は「私は上司の指示に従っただけ.地方公務員ですから」ということの一点ばりであった.
9月医療過誤であったという外部調査委員会の結果がでた。
10月この文書の訂正をもりこみ渡辺衛生局長に対し内容証明の質問状を送った。しかし適切な回答は得られなかった。また不正防止ホットラインにも訴えたが,だめだった.
10月の議会で衛生局の隠蔽体質が大滝議員の質問で指摘された。それを受け11月に内部調査委員会が開かれた。この調査の際に、センターの医師達はヒアリングを求められた。ヒアリングにあたって医師達は録音させて欲しいと総務局菅井課長に申し入れた。「絶対だめ」ということだったので,身の安全が担保できないと思い医師達はヒアリングを断った.植田医師と栗田医師は,公正な委員会ならヒアリングに協力すると内容証明で委員会の委員長である大澤収入役、大谷弁護士に送ったが,二人は無視した。それに先立って,横浜市大神経内科の山口医師が「前田副市長に認められた.1月からセンターの脳神経科部長になる」と12月の学会で自分で言っていたとのことを聞いた.
横浜市は,調査の遅れを理由に山本センター長と畑副センター長を降格処分とした。福島センター長は就任翌日の午前中に畑先生をセンター長室に呼びつけ、まず,畑、松岡、植田、栗田にやめてもらうと所信表明をした。このやり方は紳士的でないと言った.
亀田さんの事故の10日後には,米国人男性の手術が行われた.24時間体制の脳血管治療チームが出来ていてメンバーである伊藤先生もいたにもかかわらず,メンバーに連絡せず,専門医でなくチームに所属していない放射線科医師と脳外科医師が手術を行なった.その結果,男性は死亡。
調査委員会が立ちあがり、畑委員長のもとで調査は進み12月にはめどがつき,家族に外部の医師に意見を聞いてよいかと尋ねる段階までに達したが,医事課は家族に連絡を取ろうとしなかった.

中田市長とは3回面会をした。その際にセンターで起きている一連の不祥事や医療ミスの問題、松岡先生を排除しようとする看護部たちの捏造文章を見せて具体的に報告した。医療改革に関しても理解を示し熱心であった.その後私設秘書を通して膨大なメールのやり取りを行い、亀田さんの医療事故や米国籍男性の問題が発生した経緯なども報告した.しかし,中田市長は「岩崎病院経営局長にすべてまかせます」とのメールを最後に連絡を絶ち、私を異動させるという裏切り行為を行った。
  (以上)